金沢出張に同行する③。

昨日はブログの更新をお休みさせて頂きましたが、今日は金沢出張の第3弾として『長町武家屋敷跡』周辺のご紹介をしたいと思います。現在『長町武家屋敷跡』と呼ばれている地域は、金沢の繁華街『香林坊(こうりんぼう)』から徒歩5分程の辺りから広がる一帯で藩政時代に藩士が住んでいた屋敷跡の事です。そして、この地区では、現在も土塀の続く町並みが残され、その中では今も変わらず日常生活が営まれています。石畳の小路を散策していると、当時の雰囲気が偲ばれる場所があちこちにあります。

 

↓ これらの小路周辺も一般民家。

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↓ 土塀には『薦掛け(こもがけ)』が施されています。12~3月の間、土塀には〝薦(こも)〟が掛けられます。これは、土塀が雪水を含まない様に保護する為で、1986年以降は金沢市が毎年行う様になっているそうです。

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↓ この地区では、どこを見ても『薦掛け』が見られ、金沢の冬を装い、趣のある雰囲気を生み出す物だと思います。傍を流れているのは『大野庄用水』です。この用水路は町を火災から守る等、色々な意味があるそうです。

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↓  『茶菓工房 たろう』と、店名が平仮名で書かれた珍しいお店がありました。

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↓ 人気商品はチョコレートの羊羹や小さな寒天のお菓子だそうです。試食を頂きましたが、チョコレート味の羊羹は何だか不思議な感じでした。

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↓ そのお隣には『武家屋敷跡 野村家』があります。先程の『茶菓工房 たろう』のカフェからは、こちらのお庭が見えるそうです。

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武家屋敷跡 野村家』は、前田家の重臣として御馬廻組(おうままわりぐみ)の組頭を代々務めていた名家で野村伝兵衛信貞のお屋敷です。御馬廻組とは、簡単に言えば馬に乗る武士で、武芸に長けた武士のエリート集団です。現在のお屋敷は加賀の豪商・久保彦兵衛が大聖寺藩主を招く為に建てたお屋敷の一部を移築した物です。天井や襖絵等の建具にも贅の限りを尽くした建物となっていますが、特にお庭が有名です。海外の日本庭園専門誌が選ぶ日本庭園ランキングでも上位に入っており、一見の価値ありだそうです。ただ、今回はベビーちゃんも一緒なので見学はしませんでした。また機会があれば…と思います。あるかな~???そして、他にも多くの歴史を感じる場所があります。

 

↓ 『旧加賀藩士 高田家跡』です。

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高田家は 、550石の武士で、6段階に分けられる加賀藩士の格付けの中では上から3つ目〝平士(へいし)〟だったとされています。この地区、長町の武家屋敷は、多くが土塀で造られていますが、高田家は立派な長屋門を構えていました。長屋門は、大名家やある程度、高位の武家にのみ建築が許された〝名家の証〟だったそうです。

 

↓ しかし、現在見る分には、煌びやかなお屋敷と言うわけではありません。

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↓ 実際、仲間(ちゅうげん)と呼ばれる住み込みで働く人の部屋の説明にも、食事は賄って貰えるものの、その生活は貧しく、草履作りの内職をしてお小遣い稼ぎをしていたとありました。

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↓ 庭の中央に流れる水は『大野庄用水』から引き込まれており、池泉回遊式庭園になっています。

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この辺りでは、身分や禄高によってお屋敷の大きさや造りが決まっており、100石につき約160〜170坪が認められ、中位のお屋敷でも、平均して200坪程あったそうです。

 

↓ 更に足軽の家が保存された『足軽資料館』にも立ち寄りました。

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敷地内には藩政期に建築された足軽階級の家、2軒分が展示されており、住居内部が公開されています。この2軒は、加賀藩足軽の末裔である清水家と高西家から寄付された物で、何と!清水家は1990年(平成2年)、高西家は1994年(平成6年)迄、実際に住居として使用されていました。

 

↓ 高西家の玄関から内部を見た所。

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↓ 「吉報は玄関から」と言う言葉、聞いた事がありますが、そこにはこんな理由があった様です。詳しい説明がありました。写真をご覧下さい!

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↓ 流しとは、台所の事です。

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先程、高田家の所で、加賀藩の格付けは6段階と書きましたが、上から、八家(はっか)・ 人持組(ひともちぐみ)・ 平士(へいし)・ 与力(よりき)・ 御徒(おかち)・ 足軽(あしがる)と分けられていたそうです。よって、足軽は最も階級の低い武士とされていますが、加賀藩においては足軽であっても、戸建て住宅が持てたそうです。他の藩では、足軽が戸建て住宅に住める事は無く、足軽長屋と呼ばれる共同住宅が一般的だったそうです。ですが、現在の様に家族の人数が少なくは無い時代に狭い住宅と厳しい住環境に加え、懐事情も寒々しい物だったそうです…。ここ迄で『長町武家屋敷跡』の散策は終わりです。折角なので、近くのお店も幾つか見て回りました。

 

↓ 『オヨヨ書林 せせらぎ通り店』です。このお店、色々な分野の古書を扱っているのですが、店内の壁一面が本棚になっています。店内は写真撮影不可なので伝わりませんが、外観からは全く想像出来ない本の世界が広がるお店です。

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↓ 焼き立てのパンやフランス菓子が並ぶ『ひらみぱん』です。大正時代に建てられた鉄工所をリノベした店内。お店の奥は、フランスの郷土料理のビストロになっています。

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↓ カヌレは全体にモッチリとした食感でした。パンは天然酵母だそうです。

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↓ たまたま通り掛かった雑貨屋さん?服飾系小物屋さん?のお店。

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『長町武家屋敷跡』周辺の散策を終えて移動の為に再度バス停の『香林坊』を目指して歩くと『尾山神社(おやまじんじゃ)』の神門が見えました。

 

↓ 神門は、1875年(明治8年)11月に完成した物ですが、洋風建築と中国南方部の寺院のアーチ型が融合した造りになっています。竜宮城の様な造りと言われているそうです。

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珍しい点は他にもあり、ステンドグラスが嵌められている事、更には日本で最初の避雷針が設置されている事が挙げられます。ステンドグラスはその昔、灯台としての役割を持ち、避雷針は現役で使われ続けているのだそうです。何だか凄いです!!!そして『尾山神社』では、初代加賀藩主である前田利家正室のおまつの方が祀られていますが、幕府から謀反の疑いを掛けられてはならないとして、藩祖の利家を『金沢城』の近くに祀る事をしなかったそうです。『尾山神社』の裏側には『金沢城』があります。前田家では、何かと家名存続の為、幕府に忠誠の意思を示し続けたそうです。人間関係については、今も昔も変わらず大変だった事が良く分かります。

最後に、今回何度も出て来る地名『香林坊』ですが、人の名前が由来になっています。元は朝倉氏の家臣であった香林坊ですが、朝倉氏滅亡の後は比叡山で僧侶をしていました。しかし、お坊さんから一般人に戻る〝還俗〟をして、この地の町人向田家の跡取りとなりました。その結果、向田香林坊となり、以降は目薬の製造販売を行う事で大成したそうです。これを受け、この地は向田香林坊の名前より『香林坊』となったそうです。また、この話に因み、メグスリノキと言う種の木が植えられているそうです。

 

では、次回が金沢出張の最終回になる予定です!!!

今日はここ迄。