江戸と大正の和洋折衷。

一昨日の事、『京都水族館』と『京都鉄道博物館』を訪れた後、ベビーちゃんが寝ているのを良い事に以前から行ってみたかった場所に足をのばしました。行先は、京都市下京区西新屋敷太夫町にある『きんせ旅館』1階のカフェ&バーです。ここの住所、西新屋敷は歴史的にも重要な場所〝島原〟がある所です。島原と聞けば、花街のイメージが強いかと思いますが、今でもその雰囲気は残されています。

 

↓ 『きんせ旅館』の外観。江戸末期の建築で元揚屋の建物です。揚屋とは、現代で言う料亭の事です。それに対し、置屋太夫や芸妓さんが所属する場所です。よって、お客さんを迎えるのは揚屋で、太夫や芸妓さんはそちらへ向かいます。

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江戸時代の始めに作られた揚屋は、間口が狭く奥行きのある典型的な京都のうなぎの寝床仕様の間取りです。1階に台所等が作られ、2階をお座敷としてお客さんをもてなしていました。そこから、お客さんを2階のお座敷に揚げる=揚屋と呼ばれる様になったと言われています。何故、この様な元揚屋をリノベーションしたカフェに興味を持ったのか…?そのきっかけは、雑誌の記事で特集されていたからであり、そこに出ていたステンドグラスが何とも趣があって美しかったのです!!!

 

↓ 早速中に入ってみると…目の前にありました。やはり美しいです!また、ステンドグラス同様に素敵なのが足下のタイルです。

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このタイルは〝泰山タイル〟と呼ばれる物です。泰山タイルとは、創業者である 池田泰山が1917年(大正6年)に設立した『泰山製陶所』 で造られたタイルの事です。その製陶所の場所が南区東九条であり、現存する泰山タイルで最も製陶所から近い場所がここでは?と言われています。他にも、大阪船場の『綿業会館』にあるタイルタペストリー、ヴォーリズによる『六甲山荘』の暖炉の間等々に用いられています。

  

↓ 何と!カフェ&バーへと向かう手前、左手側にはコーヒーの焙煎所があります。『IWASHI COFFEE』と看板が出ていました。『きんせ旅館』周辺に漂うコーヒーの良い香りはここから来ていたのでした。

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カフェ&バーへ入ると、雑誌でお見掛けしたオーナーさんを発見。私たち夫婦とベビーカーで爆睡中の3人でしたが、中央の大きなテーブルを使わせて下さいました。とにかく趣と雰囲気のある空間。ベビーちゃんが寝ていてくれてこそのタイミングで無ければ伺う事は出来ません。でもいつか、静かに雰囲気を楽しめる年頃になればステンドグラスを見せてあげたいな…とも思いました。

 

↓ 以前は『きんせ旅館』の〝きんせ〟は漢字で〝金清〟だったそうです。照明の色も絶妙です。揚屋から旅館へ、そして暫くは営業されていなかったものの、再度営業されています。1階のカフェ&バーだけでなく、2階の1日1組限定の宿にも宿泊してみたくなりました。

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↓ 見上げてみると、あちこちにステンドグラス。

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↓ 蝶の模様もなんともレトロで可愛らしいです。

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↓ 珍しい形の花器にスターチスのお花と枝物。さて、この枝が何だったかは思い出せません。

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↓ カウンターの上には猫の置物が複数。

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↓ 暫くすると、旦那さんのカフェオレが運ばれて来ました。私のコーヒーはブラジルの深煎りだったかな?深い香りが美味しいコーヒーでした。

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コーヒーを頂いて一息、ベビーちゃんが寝ている間に失礼しようとお店を出る事にしました。お会計の後も、出口に向かいながら回りのステンドグラスを見渡しました。

 

↓ 鳥の翼に用いられているガラスが本当に綺麗!!!

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↓ こちらのステンドグラスは最初に見えていた物です。

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ずっと気になってはいたものの、中々訪れる機会のない場所です。やっと実現しました。『京都水族館』や『鉄道博物館』のある『梅小路公園』の北側であり『西本願寺』のすぐ西側、やはり私自身の日常生活には縁の無い場所です。折角なので、周辺も歩いてみます。

 

↓ 『きんせ旅館』から徒歩で2~3分の距離で既に目で見えている場所に、幕末の長州藩士・久坂玄瑞の名前が彫られた〝久坂玄瑞の密議の角屋〟の石碑があります。

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この『角屋(すみや)』と言うのは、うなぎの寝床仕様が一般的な中、長くて広~い構えを持った揚屋の1つです。幕末には久坂玄瑞の他、西郷隆盛新選組が頻繁に出入りしていたとされています。また、芹沢鴨との関わりが深く、芹沢鴨はこの『角屋』で大暴れをしたりここの庭を眺め帰宅した際に暗殺されています。

 

↓ 更に『角屋』は俳句の世界との繋がりもありました。当時の『角屋』の当主が与謝蕪村を招いていたそうです。

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現在『角屋』は『角屋もてなしの文化美術館』として利用されています。そこには、与謝蕪村による『紅白梅図屏風』の他、円山応挙による襖絵をはじめとする文化財揚屋であった頃の趣の中に展示されています。今回は美術館を見学する事はありませんでしたが、また改めて訪れてみたい場所になりました。

 

↓ 他にも、島原らしい場所が幾つか残されています。『輪違屋』です。ここは置屋でありお茶屋さんで現在も営業をされています。1984年(昭和59年)には京都市指定有形文化財(建造物)に指定されています。写真はその案内。

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↓ 『輪違屋』の外観。軒先には、ずれて重なる輪違屋の紋様が描かれた軒行灯が目をひきます。

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入口には〝観覧謝絶〟の文言が掛かれた木端が欠けられています。これは京都で耳にする言葉〝一見さんお断り〟の意味です。一見さんである私には目にする事が出来ませんが、近藤勇の書による屏風や桂小五郎の掛軸があるそうです。もてなしの文化美術館となっている『角屋』とは違い、ここはこれからもずっとご縁が無さそうで残念です。

 

↓ 最後は島原への入口、東側にある大門『島原大門(しまばらおおもん)』です。この門は1867年(慶応3年)の物です。新選組もこの門の下を歩いたのかと思うと、想像が膨らみます。

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写真で見ると『島原大門』の右手前に折れた?木がありますが、一般的な『島原大門』の写真を見ると柳が揺れています。この時期、青々とした柳は見られないにしても、折れた?切られた?状態になっていました。どうしたのでしょうか???少し気になりつつも、私たちも島原の地をあとにしました。この後は、京都駅に戻っても良かったのですが、日頃乗降する事の無い五条駅へと歩いて向かいました。

 

これで、今回はおしまいです。

また、近い内に~。