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鹿児島の出張に同行④。

今回で、鹿児島に関する記事も4回目となりました。前回の最後では、次のテーマは〝幕末の歴史スポット鹿児島編〟にするのか、それとも『桜島』にするのか…と迷っている事を書いて終わりましたが、結局、両方書いてしまうことにしました。ということで、早速、旦那さんと一緒に行った『桜島』から。

 

↓ フェリーの上から眺めた『桜島』の風景。しばらく鹿児島に滞在した中で、実際に訪れた日が、最も晴れてた1日となりました。幸運です!

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『桜島』は錦江湾にある、東西約12キロ、南北約10キロ、ぐるり1周が55キロの火山島で、以前はその名の通り〝島〟だったのですが、大正3年(1914年)の噴火によって、大隅半島と陸続きの今の姿となっています。また、現在も噴火は続いており、最近では一層、火山活動が活発になっています。正直なところ、行く前は少し心配していましたが、鹿児島の人々はいつもと同じように生活されていました。

 

↓ 桜島の周辺は、溶岩が固まって出来た溶岩石と軽石で溢れています。一部には潮だまりができ、忙しなく歩くカニの姿や魚を見ることが出来ました。

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指宿に続き、ここでも海を見ながら、のんびりと足湯をしました。鹿児島には、至る所に温泉があり、気軽に足湯が出来るよう、無料で開放されています。しばらく足を浸していると、地元のおじいちゃんが来られました。おじいちゃんは、鹿児島で絶大な人気を誇るシンガーソングライターの長渕剛さんについて詳しく語り、更には目の前にある溶岩石にヒジキが沢山つくことを教えてくれました。ですが、後になって周辺を良くよく見てみると、勝手に採集をしてはいけないこと、懲役や罰金が科されることが書かれた看板が立っていました…。

 

↓ 『桜島』には、世界で最も大きな大根『桜島大根』の他、有名な特産品がいくつもあります。大きい大根とは反対に、世界で最も小さいミカンも有名です。それが『桜島小みかん』という品種のミカンで、ジュースも作られています。濃厚でどっしりとした甘さ、それでいてさっぱりとした飲み心地です。

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『桜島小みかん』は、稲作に適さない火山灰土壌の地でも生産することが出来、樹齢200年以上の大木もあります。多いものでは、1本の木から数百キロも収穫できるそうで、江戸時代には、徳川家康に献上されたこともある、収量、味、共に優秀なミカンです。

島内を歩いて回るのに、9時間もあれば回れると書いてありましたが、そこまで頑張ることは出来ないので、フェリーのりば周辺のみを散策して鹿児島市内に戻りました。片道約15分の所要時間で160円、「市電・市バスシティービュー一日乗車券」のパスポート利用で130円。とってもリーズナブルに自然を満喫できる島として、鹿児島旅行の際には是非!とおススメしたくなる場所でした。また、珍しい鳥『ルリカケス』も見ることが出来ました。その写真は、また近い内に…。

 

話は変わって、ここからは『幕末の歴史スポット鹿児島編』です。鹿児島の地は、鎌倉時代以降、島津氏よって治められてきました。それ以降の歴史に頻繁に登場することになる薩摩ですが、中でも、幕末から明治維新に掛けては、西郷隆盛大久保利通などの有力な政治家が登場しています。彼らは、下級武士の出身でありながら、歴史を変える出来事を次々に成し遂げました。それには、薩摩特有の『郷中(ごじゅう)』という整った教育制度が大きな鍵となり、下支えとなっていたそうです。

 

↓ こちらは、『西郷隆盛像』です。台座を含めると高さ約8メートル。昭和12年(1937年)に建てられたものです。

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西郷隆盛の人生は波乱に満ちたものであり、像の後ろにある『城山』にて、明治10年(1877年)9月24日に生涯を終えました。

 

↓ 鹿児島市と『桜島』を見下ろすようにある『城山』は、シダ類の固有種があるなど、小さい山ながら豊かな自然が見られると同時に、西南戦争の最後の舞台となった場所です。この山の中腹には、西郷隆盛率いる西郷軍が政府軍に追い詰められ、5日間、身を潜めた洞窟があります。

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最後隆盛は、この『城山』から下山する途中、銃撃を受けて最終的に別府晋介介錯によって自決しました。なので、この洞窟が人生最後の5日間を過ごした場所になります。

 

↓ 更に下ると、電車のトンネルがあります。そのトンネルには、西郷隆盛の直筆「敬天愛人(けいてんあいじん)」=天を敬い、人を愛する、の言葉が刻まれています。

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後から知ったことですが、反対側には大久保利通の政治信条「為政清明(いせいせいめい)」=政治は潔白で隠し事があってはならない、の文字が刻まれているそうです。

 

↓ 『城山』を下りきった場所には、『薩摩義士碑』があります。近くには、岐阜県から寄贈されたサクラ、薄墨桜の蕾が綻び始めていました。

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これは、西郷隆盛の生きた時代よりも一昔前の話、江戸時代中期に起きた『宝暦治水事件』に関する碑です。宝暦3年(1753年)幕府よって木曽川長良川揖斐川の治水工事を命じられた薩摩藩は家老・平田靭負を総奉行に約1000人を派遣しました。しかし、非常に難しい工事であったと同時に幕府からの無理難題や嫌がらせにより、多くの費用と人々の犠牲がでました。そもそも、薩摩藩の弱体化の意味も込められたこの命令は大変厳しい内容であったのです。そして、その際に犠牲となった人々を慰霊する為に建てられました。真ん中の最も高い碑が、家老・平田靭負のものです。

 

↓ 時代は、再度幕末へ。『薩摩義士碑』のある場所から徒歩1分、『鶴丸城跡』があります。『鶴丸城』とは、正式名称を『鹿児島城』と言いますが、一般的には『鶴丸城』と呼ばれています。

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慶長7年(1601年)に島津家18代島津家久が築いた平城です。「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩流の思想による、天守閣の無い質素な造りです。鶴が翼をひろげた形をしていることが『鶴丸城』の由来であり、今でも鹿児島の人々に親しまれています。ですが、現在では、城壁、濠、石橋だけが昔の面影を残しています。また、かの有名な天璋院篤姫が江戸へ輿入れをする前の数カ月を過ごした場所でもあります。

 

↓ 『鶴丸城』の本丸跡には、歴史資料センター『黎明館』がある他、『天璋院篤姫像』もあります。

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更に、周辺には、島津斉彬を祀った『照國神社』や『西郷隆盛終焉の地』、モネなどの作品を展示した『市立美術館』などもあります。市内中心部には、歴史上の有名な人物の生誕地やザビエルの像まで見つけることが出来、見所満載です。ここまでの『幕末の歴史スポット鹿児島編』については一人旅でしたが、『鹿児島市維新ふるさと館』には、旦那さんも一緒に行きました。

 

↓ 『鹿児島市維新ふるさと館』内は、基本的には写真撮影不可ですが、一部エリアは可能となっています。写真は、2008年のNHK大河ドラマ篤姫」で主演宮﨑あおいさんの衣装(右側の打掛2つ)と和宮を演じた堀北真希さんのもの(左側)。

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鹿児島市維新ふるさと館』は、とにかく充実した展示内容で、幕末について興味のある人には最適な場所だと言えます。特に、旦那さんがお気に入りだった展示は、2本の短い映画でした。暗くなると、いつもはウトウトする旦那さんが目を輝かせて見続け、終わった後も「感動した!」と心底楽しめたようでした。

 

今日は、『桜島』と『幕末の歴史スポット鹿児島編』、2つのテーマとした為、随分長くなってしまいました。次回の更新も鹿児島の予定です。どうぞ、お付き合いください。

 

では、今回はここまで。