神奈川の出張に同行③。

昨日は予想以上に長くなってしまい、神社仏閣に関する内容の前半で終わってしまいました。ここからは、旦那さんと一緒に訪れた神社仏閣についてのご紹介です。

鎌倉は、1つのお寺周辺に複数のお寺があるので比較的短時間で複数の場所を回ることができました。ですが、順番を間違えると、とても急な坂を上ることになるので、要注意です。

 

では、鎌倉の観光名所の定番、大仏さんが鎮座する『高徳院』からご紹介です。

 

↓ 『高徳院』の大仏さん、国宝『銅造阿弥陀如来坐像』です。

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大仏さん、と聞くと関西人としては〝奈良の大仏さん〟のイメージですが、そもそも、鎌倉の大仏さんと奈良の大仏さんではいろいろなところが異なります。正式名称ですが、鎌倉の大仏さんは『銅造阿弥陀如来坐像』であるのに対し、奈良の大仏さんは『銅像廬舎那仏像』です。それぞれの印相という手の組み方は、鎌倉の大仏さんは『上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)』という最高の悟りの状態を表す形で、京都宇治の『平等院鳳凰堂』の本尊『阿弥陀如来』と同じです。一方、奈良の大仏さんは、右手が人々に力を与え、恐れることは無いとする『施無畏印(せむいいん)』で左手が『与願印(よがんいん)』という人々の願いを叶えるという意味の形です。また、奈良の大仏さんは大仏殿の中にありますが、鎌倉の大仏さんは屋外です。その原因は、15世紀の津波をはじめとする災害によるもので、現在、露座となっているそうです。他にも、造られた年代は奈良の大仏さんの方が古く、大きさも大きいです。比較してしまうと、奈良の大仏さんに軍配が挙がりそうですが、鎌倉の大仏さんには造られた原料や完成年度などの〝謎〟も多く、比較では見えてこない魅力があります。

 

続いて、『高徳院』と同じく、江ノ電長谷駅』が最寄りのお寺『長谷寺』に向かいました。こちらの『十一面観音菩薩立像』は9.18メートルもあり、遠目で見ると、金色の柱が天井に向かって貫かれたような大きさです。この大きさ、木造の仏像としては日本最大級のようです。

 

↓ 山門には赤い提灯が下げられています。

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実は、『長谷寺』の歴史にも謎が多いとされています。721年(養老5年)、現在の奈良県桜井市初瀬である大和の泊瀬のクスノキから二体の十一面観音が造られ、その内の一体が海に流されました。736年(天平8年)に相模国三浦の長井(現在の横須賀市)に漂着。それが鎌倉に遷され、長谷寺建立の契機になったとされているものの、未だ詳しいことは謎のようです。

 

↓ 山門を過ぎ、本堂へ向かって歩いていくと、いくつかのお地蔵さんに出会うことができます。他にも、〝和み地蔵〟という柔和な表情で丸いお顔をしたお地蔵さんもありました。こちらは、〝良縁地蔵〟です。

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↓ ここの御線香はちょっと珍しく、色もカラフルで少し太いものでした。旦那さんと一緒に火を灯し、お参りをしてきました。旦那さんは紫色、私はピンクの御線香です。

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最寄り駅の『長谷駅』に戻り、今度は江ノ電にて『鎌倉駅』、JRに乗り換えて『北鎌倉駅』に向かいました。一人旅の時に『円覚寺』や『明月院』へ行った時の駅です。ここからは、徒歩にて回っていきます。

 

北鎌倉駅』からほど近く、『東慶寺』と『浄智寺』があります。『東慶寺』は1285年(弘安8年)、北条時宗の夫人である覚山志道尼によって創立されました。女性の側から離婚の申し出ができない時代に縁切りができる駆け込み寺としての役割を約600年に渡って果たし、1902年(明治35年)の尼寺から禅寺となり、今に続いています。境内は、緑が多く、巨木、梅や桜の木、岩肌にはイワタバコの葉もまだ残っていました。さらに、京都の〝哲学の道〟の言われとなった西田幾多郎のお墓などもあります。

 

↓ モミジが良い色になっていました。

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浄智寺』は鎌倉五山第四位に位置づけられる名刹です。臨済宗円覚寺派に属するお寺で、境内は『浄智寺境内』として国の史跡にも指定されています。推定樹齢700年のコウヤマキの巨木がありました。「甘露の井」という井戸も有名です。歴史としては、1281年(弘安4年)北条時頼の三男宗政を弔うために宗政の夫人が宗政とその子である師時を開基にして創立しました。火災や地震などで伽藍は焼失や倒壊し、現在の建物は関東大震災後に再建されたものです。

 

↓ こちらも緑が多く、山門周辺はきれいなコケも多くみられました。

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↓ 『曇華殿(どんげでん)に鎮座する本尊の『三世仏像』です。左から過去を表わす『阿弥陀如来』、現在を表す『釈迦如来』、未来を表す『弥勒如来』が並んでいます。

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 その後、『建長寺』へ向かう途中の『円応寺』にも寄りました。『円応寺』は運慶作とされる閻魔大王のあるお寺です。『円応寺』は1250年(慶長2年)の創立で、『建長寺』を開山した蘭渓道隆の弟子である桑田道海(智覚禅師)とされていますが、桑田道海は1309年(延慶2年)没とされ、年代が合わないこと、さらに『建長寺落慶より以前であることなどから、当初から禅寺として建てられたことに疑問があるそうです。そのため、詳しい歴史は判明していません。このお寺について特筆すべき「え?」と思わずにはいられない伝承が2つ残されていることです。1つ目は、〝笑い閻魔〟と言われるもので、運慶が死後、地獄に落ちたところ、閻魔大王が「生き返らせる代わりに、自分の像を造るように」と命じ、生き返ったことで笑いながら彫ったために笑い顔の閻魔大王となり、〝笑い閻魔〟と言われるようになったというもの、2つ目は当時流行っていた病気を治して貰おうと病気の子どもを連れてお願いに来たお母さんの「この子の願いを聞いてください」とお願いしたものを「この子を召し上がってください」と聞き間違えたため〝人食い閻魔〟と呼ばれるようになってしまったものです。どちらも、驚くしかできない内容ですが、今に伝承されています。

さらに坂道を下ると、いよいよ『建長寺』が見えてきました。

 

↓ 『建長寺』です。『建長寺』と言えば有名なお寺です。そして、こちらが鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派大本山です。

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建長寺』と言えば、〝けんちん汁〟の語源であることや、歴史で習う〝建長寺船〟を思い浮かべますが、鎌倉で数あるお寺の中で、鎌倉五山の第一位とされるだけあって、やはり別格です。面積だけを見ても広大で重要なものが多くあります。しかし、度重なる火災や地震の影響で、現在の伽藍の多くは江戸時代に再建されたものです。『建長寺』の正式名称は『巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)』と言います。厳格な宋朝の禅風を目指して北条時頼蘭渓道隆を招き、1253年(慶長5年)に創立しました。やはり、先程の『円応寺』の創立は年代が合いそうにはありません。

 

↓ 仏殿は、1647年(正保4年)に東京都港区にあった『増上寺』から移築されたもので、もとは徳川秀忠の夫人お江の霊廟であったものです。中心には、座高2.4メートルの本尊『地蔵菩薩坐像』が配されています。 

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最後に、訪れたのは『鶴岡八幡宮』です。『鶴岡八幡宮』は初詣の名所として良く耳にしますが、初めて訪れました。その初詣では、今年2013年には三が日だけで255万人が訪れ、全国6位だったそうです。

 

↓ 鮮やかな朱色の本宮が遠くからでも目を引きます。 

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鶴岡八幡宮』は平安時代源頼義が東北地方の前九年の役での勝利を願って京都『石清水八幡宮』の分社を鎌倉の鶴岡に建てたのが元となっています。その後、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、義家の遠い子孫であるため、氏神として鶴岡八幡宮を信奉し、1180年(治承4年)に現在の地に遷し、社殿を中心に幕府の関連施設を配したとされています。

 

↓ 珍しく、おみくじを引いてみました。左側は旦那さんの〝第三十五番〟中吉、右側が私の〝第三十四番〟吉です。2人それぞれ別々の筒をじゃらじゃらと鳴らして出した番号ですが、偶然にも連番でした。

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短い時間ではありましたが、随分たくさんの神社仏閣巡りを楽しむことができました。行く先々で「御朱印はこちら」と書かれていました。昔からある御朱印集めですが、最近は特に流行っているようです。私も、以前、友達と『四国八十八ヶ所巡り』のお遍路さんを一部分だけしたことがありますが、いつか全部回れたらなぁ~と思います。

これで、今回の〝神奈川出張〟に関する内容はおしまいです。

連日、長くなってしまいましたが、いつも最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

では、また近い内に。